現地校に通う子供たち:帰国子女からのメッセージ
〜現地校で通う子供たち〜の体験手記について〜
体験手記を掲載する意図は、同情を買うためでも、同じような母親たちに、なぐさめあってもらうためでもありません。まして、お子さんを連れて渡航される方を不安に陥れるためでもありません。これから、お子さんを連れて渡航する方に「子供はすぐに現地に慣れる」という神話に警鐘を鳴らしたいということ。それから、すでに渡航されて、お子さんの事で悩んでおられる海外に暮らす母たちに、「あなただけじゃないよ。一緒に頑張ろう。」と伝え、それぞれのケースの中にいくつかのヒントがあると思うので、それらを活用して欲しいと思って、体験手記を掲載しています。(みかりん)
海外駐妻物語掲示板への書き込みより (ホームページ所有者・本人許可済み)
現在は、日本在住の子育て中の30代の女性です。
帰国子女であった事のメリットは、語学の体得や友人を得る等、色々あるんでしょうが、やはりズバリ(私の場合は)「経験」です。同じ海外でも「見る」と「住む」では大違いです。1週間や2週間での旅行感覚の滞在では絶対得られない、その国・街の 空気・匂い・音・感覚すべてが脳裏に刻まれるとでも言えばいいのでしょうか。 これは絶対に子供の深ーい部分に残ってます。
因みに、私は台湾とNYに親の駐在で暮らした事があるのですが、台湾時代の1歳〜6歳、建国幼稚園という、日本人と台湾人の通う幼稚園に通ってました。(欧米人はインターだったみたいです) 北京語ペラペラ・初恋も台湾人だったそうですが、帰国して日本の幼稚園に編入したとたん一切の北京語を忘れてしまいました。(今思うととてももったいないのですが) で、20代後半に、20年ぶりに両親と台湾に行ったのですが、空港についたとたん、脳の奥底で「懐かしい」と思いました。ちょっと「八角」っぽい匂いの空気、中国語の羅列した街の看板、なぜか多い椰子の木、そして耳に残る北京語・台湾語の響き。。あんなに幼かったけど、ちゃーんと私の体の記憶に残ってるんです。
住んでいた家の付近は全然様子が変わっていたけど、家の庭でメイドのおばさんに、たらいの中で髪の毛を洗ってもらって、髪の水気を絞る時とっても痛かった事、幼稚園に行く道の途中でいつも露天のおじさんが売っていたお菓子の独特の味。。故久博物館で見て幼い心にも深く記憶に残っていた「万馬図」の素晴らしさ。。。今でも宝物の様に思ってる記憶です。
NYはまたNYで、着いたとたんのあの日本よりカラッとした空気感、人々の体臭と香水の匂い、街のきれいさ・汚さ、秋の空気の美味しさ、冬に自分の吐く息が凍る位の寒さ、大好きだった自然史博物館とMOMAの睡蓮、いつも盲導犬と一緒の物乞いのおじいさん。。ピザの不思議な美味しさ。。庭に住むリス。。 これらもやっぱり私の宝物です。
そして「住む」という事はその国の人々と一緒に生活を共にする、という事ですよね。だからエレベーターに乗っても肌の色の黒い人、白い人、髪の白い人、金髪な人、ブルーネットの人、栗色の人、瞳の青い人、グリーンな人、いろーんな人が世の中にいて自分もその一部なんだという事を幼いなり心に感じました。つまり、自分の自国と違う文化・気質を体験出来る事によって「世界」を強く感じる事ができるのと、またそれとは逆に自分が「日本人」であるという事もものすごく感じる事が出来ます。
同じ商品同士を比べても違いは分からないけど、違う商品同士を比べると、「こっちの方がこういう点がいい」とか「ここはこうしたほうがいいかもね」という事が分かりますよね。だから日本の四季の移り変わりの美しさ、日本語の響きの美しさ、日本のもてなしの心の素晴らしさ。。日本にいては見過ごしがちな事もきちんと汲み取る事が出来ると思います。
そして、住んだ国の人々はいわば生活を共にした仲間。。だからインドに駐在した子はインド人に親近感を持っていますし、私も台湾の人には親近感を持ってます。 だから彼らを差別するという心は起きません。 そういう意味では全く異文化に接した事のない人より、外国人に接する心構えが出来るのではないでしょうか。
たしかに帰国子女で辛い思いをした事もありますが、長い様でいてやはり限られた人生の中、これだけの経験が得られた事はものすごく私の人生にプラスになったと思っています。
この方へ、メールでインタビューをしました。
●いきなり全く日本とは違う環境に放り込まれた時のことを伺いたかったのですが。。。1〜6才を台湾ということは、物心が付いた時はすでにタイなのでストレスと言うのはなかったですか?
おっしゃる通り、1歳に訪台したので、初期の頃の記憶は全くありません。よってストレスもなし。一番初期の記憶は以前も書きましたが建国幼稚園という現地の人と日本人子弟が通っていた幼稚園での記憶が思い出されます。が、当時日本人家庭はメイドさんや運転手を雇える位、現地家庭より高所得だったので、この幼稚園も園児の家庭レベルが高く、いじめとか辛い思いは全く無かったです。
●台湾から日本の幼稚園に変わってから、苦労した事、当時の気持ちなどを教えて下さい。
帰国当時社宅に住み、そこから近くの私立幼稚園に編入しました。商社の社宅だったので、そこの子弟(いわゆる帰国の確立高し)が大勢通っておりましたし、父兄も会社の人が多かったので、多少日本語が怪しかった私もすんなり受け入れられました。(あっ!という間に北京語はすっかり忘れてしまいました。。もったいない。。)帰国が幼稚園時代だと日本の社会にものすごく早くスムーズになじめると思いますよ。そのかわり残念ながら滞在国の言語は、よっぽど家庭で使用し続けるとかしない限りは残りません。小学校4年くらいから上の高学年だと残る可能性はぐんと上がりますが、帰国でからかわれる(いじめられる)可能性もぐんとあがりますね。。(小学校1・2年だと帰国子女という概念もいまいちまだ理解出来ないんじゃないかしら。。)
●今度はNYに行く事になった時のお気持ち。
とにかく海外駐在以外にも引越しの多い家庭だったので、ああまた引越しなのね。。としか思わなかった様な気がします。駐在が決まったのが小5だったのですが、だいたいNYがどんな街なのかも全く知らなかったし、イメージすら湧かなかったので、不安も何もありませんでした。昨今の小学生だったら海外旅行もバリバリ行っているので海外転勤のイメージもちゃんとあって不安とか期待とか抱くのでしょうが、私が訪米した1970年代はやはり海外駐在や帰国子女の存在や情報自体がまだまだ少ない時代でした。
父親の職業が職業なだけに、転勤自体があたりまえの家庭で育ったので、友達と離れるのはイヤとかそういう気持ちよりも、親についていくのが当然だし、疑問も何も思い浮かばなかったですね。
●帰国生の受験の模様。また、高校に入ってからの周りと自分は違うなぁと感じた事、それによる心の葛藤などがあればそれも。
中3までNYの日本人学校に通っていました。日本人学校の生徒は、皆12月や1月位に卒業見込証書というのをもらって、場合によっては、親より一足先に帰国して受験の準備をします。まだ現在もあると思いますが、帰国子女専門クラスのある塾に行って、受験勉強をするのケースが多いです。もちろんホテルやおばあちゃんの家等で自宅学習の子も多いですが。日本の子が学校の授業をしている間に、受験専門の勉強を出来るので(しかも卒業見込証書があるので卒業はほぼ確定してます)この面は結構有利かもしれません。
あと、日本人学校というのはどこも日本国立の学校になるので(実態はかなり高額の授業料を払うので私立ですが)日本の全国模試なんかも日本の開催と約同時に受ける事が出来、模試の結果ももちろん反映されてました。だから、今、自分が日本全国の生徒の中でどのレベルにいるのかちゃんと分かって、公立高校もどのレベルを受ければいいのかちゃんと分かりました。(内申もほとんど希望の学校分全部書いてもらえます) NY以外の日本人学校はどうなのかは分かりませんが。。
内申もそうなんですが、海外にいると越境もけっこうできます。だから、例えば帰国先の住所は千葉になるだろうけど、都立を受けるなんて子もいました。私の代ではいわゆる慶応やICU等の帰国子女受入高に大勢進学していましたね。
あとまあ現在は慶応NYとかの海外高が沢山出来た様ですから、日本人学校のレベルがどうなったかは分からないのですが、当時の生徒のレベルというのは、今考えてみるとものすごく良かったと思います。全国模試でも皆上位の成績の子ばかりだったし、親の身元もまあ一般的に良いとされる人ばかりだったので、子供の躾もきちんとされていたから、いじめとか暴力とかが全くと言って良い程無かったです。今思えば、本当に自分は質の良い学校に通えてラッキーだったと思います。
逆に、中学にあまりにも良い環境・人間関係に恵まれすぎていたので、高校でものすごく疑問に思うことに沢山直面しました。高校は医師薬系の大学に進学率の高い私立だったので医者の子弟がとても多かったのですが、高校生なのにブランド物の財布に4・5万もおこづかいがあったり、駅から万札を使ってタクシー登校、友達の家で集まって喫煙・飲酒、夜遊び、本当にショックでした。進学校だし荒れている子や暴力沙汰なんてことは皆目無かったけど、なんだか心が擦れているみたい。。という感じ。。 まあ当時から慶応や暁成といった華やかな学校ではこんな事もあったでしょうし、現在ではそんなに珍しいことでもなくなったのでしょうが。。
ただ、海外駐在していると物理的に上記の事は出来ないから、ぐれようにもぐれられないというのもあるでしょう。学校からの生き帰りはスクールバスだし、帰宅後もそんなに遅くまで遊べないし(夜になると子供だけではかなり危険なので)、喫煙も飲酒もIDがないと買えないし。。以前海外駐妻物語のHPでも発言しましたが、海外にいると家族の結びつきもとても強くなりますしね。
結構周りのアメリカ人は中学の頃からベビーシッターをしたり、ボランティア活動をしたり、又、街では今日の25セントをもらう為に盲導犬と街頭に1日中立っているおじいさんがいたりという風景を見ていた自分にとってはやはりちょっとショックではありました。
●自分の意思ではなく、親の都合で海外に行った事に対して子供の頃感じていた気持ち。
上記に書いたとおり、やはり父親は海外に行きたくて商社に入った人ですし、もの心ついたときから海外で生活をしていたし、結局滞在した国では周りの子は皆同じ様な環境の子だったので、疑問には全く思いませんでした。
●大人になった今、振り返って感じる事。自分にとってプラスになったか、ただ辛いだけだったのか、どちらとも言えないのか。
私自身の事で言えば、自分の人生にとっておおいにプラスでした。海外駐妻物語の掲示板で書いた(上記)、体の芯に染み渡った経験というのもありますし、あとは一生の友だと思える友人の多くは、NYで一緒に過ごした子達です。(残念ながら台湾ではあまりに幼すぎてそのような関係を維持できる子はいませんでした。) あと、私は日本人学校に行ってしまったので友人達は全員日本人ですが、弟達は米国人の生涯の友を幾人か得ています。 多分言語の面では弟達の方が米国に慣れるのも、日本に慣れるのも、辛かったのだろうと思います。でも、結局2人とも今は外資系の会社や国際部門で働いているので、やはり彼らの人生にもあの海外生活がなにがしかは影響を与えているのでしょう。
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