留妻:Part1
海外に暮らす妻たちを、大まかに分類するとしたら、国際結婚妻、駐妻(駐在員の妻)、留妻(夫の留学に帯同する妻)、現採妻(日本人の夫が現地採用)と、いろんな立場の妻たちが海外で暮らしています。それぞれ立場は違っても、初めての海外暮らしに対する不安は同じですし、また、それぞれの立場での悩みやストレスもあると思います。
はじめてのイギリス(98年5月)
すでに前年の秋からマンチェスターに滞在している夫のもとにやってきました。夫は大学院に在籍、いわゆる留学生です。ただ、最短でも3年はかかる博士課程のコースなので比較的留学としては長い滞在になること、企業や役所からの留学などでない、全く個人ベースのものなので、こちらで生活を始めるにあたっては、情報収集に始まっていろんな苦労がありました(今思えば昔話ですが・・その頃はUK-Fnetもありませんでしたし。。笑)。でも、すべて自費で留学されて一人で頑張ってる人もいるし、一方、企業などからの留学で、お給料や手当てをちゃんともらえてる人もいるし、、、うちは、公募の奨学金で3年間のうち2年分(途中で半年だけ延長が認められました)授業料と夫一人分の生活費をいただけたのでとてもありがたいことだったと思っています。
最初の数ヶ月は、モタモタしながら買い物や手続きに明け暮れました。大学には何人かの日本人もいましたが、皆さん大抵は1年、長くて2年なので独身、または単身で来られている方ばかり。家族での生活情報を得るのはとても難しく、ここへ来て、半年ぐらい経った時に、同じ境遇の人が誰もいなくて、とっても淋しくなってしまいました。ある日、涙がぽろぽろこぼれてしまった時、夫が私に行ったのは「でも、日本からイギリスへ来るっていうのは、お前が自分で決めたんだよ。そりゃ慣れないところで大変だけど、がんばってるじゃないか。そう言う俺だって、大学に行っても仲間がいるわけじゃないし(夫と同じ年に研究所のドクターコースに入った人は誰もいない)、結局俺の勉強だって、自分一人だけどしょうがないよ。でも、少なくとも、この家には二人いるんだからさ。」って言葉でした。
人と比べてもしょうがないし、「自分は自分」なんだけれど、それでも「他」が見えちゃう、見ないわけにはいかない、って言うのが辛い時もありましたが、そんな私でも、いつのまにかここでの生活も楽しく思えるようになってきました。
夏を過ぎて秋風が吹く頃(98年10月)
生活にもすっかり慣れて、来英当初から思っていた「合唱団探し」をしようと思い始めました。学生時代からもう10数年歌は歌い続けていたので、合唱といえばイギリス、というくらいのこの国で、ぜひ歌ってみたいと思っていたのです。それでまずは、教会巡りから始めました。近所の教会を散歩しながら、入り口の看板に書かれた「ミサ・礼拝」のプログラムをチェックし(それなりの聖歌隊があれば歌の時間が必ず入っている)、そっと礼拝に参加したりもしました。そんな中で、夫の通う大学のすぐ近くにあるカトリックの教会に、本格的なクワイヤがあると知りました。早速出かけてみると、近くの音楽大学の学生が主体となったレベルの高いものだという話。思いきって神父様に相談したところ、「技術的に問題がなければ音大生じゃなくてもOK」との返事をいただいたので、トントン拍子に話が進んで行きました。
ところが、いよいよクワイヤが始まるというところで、ひどい風邪をひいてしまいました。続いて、夫ともども倒れて、教会にも行けず、きっかけが出来そうになったところで、遠のいてしまいました。(でも今思うと、これも神様の思し召しだったのでしょう)
最初のクリスマス(98年12月)
何気なく図書館に行ったある日、図書館のボードにある合唱団のコンサートのチラシを見つけました。私の住んでいる町のタウンホールで行われるとのこと。時期的にもクリスマスの音楽だし、クリスマス気分でも味わうか、という軽い気持ちで夫を説得(!)してコンサートに行ってみることにしました。
ビクトリア調の美しいホールに、その夜は、たくさんの人が集まっていましたが、もちろん黒目黒髪の外国人は私達二人だけ。。。なんだかひっそり座っていても目立つような気さえしました。そして、行ってみて驚いたことに、その合唱団は1903年創立、ほぼ100年の歴史を持つ由緒ある合唱団でした。年齢層もさまざま、レベルもなかなか、というものでにわかに興味が湧いてきたのですが、どうしたらメンバーになれるのかしら?休憩時間にそんなことをあれこれ思っていたら、「Are
you enjoying?」と隣に座っていた女性から声を掛けられました。私達のような東洋人はやっぱり珍しかったんでしょう。「どうしてこのコンサートを知ったの?」と聞かれて、図書館でチラシを見たこと、実はどこか良い合唱団で歌いたいと思って探しているところ、と答えると、その女性は「まぁ!そうなの。私は指揮者を良く知ってるのよ、もし良かったら、今夜終わったら、あなたを紹介してあげるわ。」と言ってくださったのです。聞けば、彼女はバイオリニストで、ご主人や息子さんも音楽家という素性でした。コンサートが終わったところで、彼女は、私を指揮者に紹介してくれ、とうとうイギリスで歌うという私の夢へ大きく近づいた一日になりました。
クリスマス、お正月が終わり、初めての練習日がやってきました。指揮者から、予め少し早めに来るようにと言われていたので、ドキドキで会場に向かいました。発声に始まって初見(その場で楽譜を渡されて歌う)の曲を歌わされたり、いわゆる「オーディション」がありましたが、なんとかクリア、晴れて仲間に入れてもらえることになりました。練習が始まり、次のコンサートの曲です、と言って渡された楽譜がなんと!私が日本で最後に歌った合唱団のコンサートでの曲でした。。なんという偶然、これも教会に行かれず、この合唱団に出会えたお陰だと思うと何かの縁を感じました。
合唱団100年の歴史の中で外国人はほとんど皆無、それも遠い東洋の国からですから、最初のうちは「遠巻き」に見ている人もたくさんいました。(イギリス人はシャイで人見知りする人が多いように思います)私自身もノーマルスピードの会話の嵐の中で最初は半ば呆然としていましたが、練習中は英語が全て理解できなくても、音楽を媒介としている限り何だか言ってることもほぼ理解できるという不思議な力に助けられて、週1回の練習がみるみる楽しくなっていきました。
春が来て(99年5月)
中部ダービーの町で開かれたMusic Festivalの合唱部門に参加し、なんとチャンピオンのカップをもらいました。その頃にはすっかり仲間にも馴染んで、練習の後の「Shadow
Choir(陰の合唱団)」というPubでの集まりにも、いつのまにか入れてもらうようになりました。いやいや、これがおもしろくて、毎週いろんな仲間と話をするのですが、日本での合唱団、いや、学生時代のクラブ活動を思い出すような感じです。「○○さんは、いつもコンサートの時に非協力的よねー。」「だって彼女は自分がプリマドンナだと思ってるのよ!」なんて具合に、もちろん楽しい会話に加えてたまにこんなゴシップや悪口も加わります。自分の意見を持つということはこの国ではもちろん常識ですが、自己主張の激しい人は結構嫌われることが多いんだなぁ(だからアメリカ人やフランス人のことも嫌いなんだな!)、なんていろいろ勉強になります。
2度目のクリスマス(99年12月)
合唱団に入ってからほぼ1年が過ぎようというクリスマスの頃、指揮者から「次の春の演奏会では日本の歌を歌いたいんだけど何か良い曲はないか。」と持ちかけられました。日本での私の歌の先生などにいろいろ知恵をいただき、楽譜を取り寄せて指揮者との相談の上で「さくらさくら」や「待ちぼうけ」など3曲を歌うことになりました。もちろん、日本の楽譜はひらがなで書かれているので、アルファベットを使ってローマ字綴りの楽譜を作り、「日本式アルファベットの発音の仕方」と題した英語のペーパーを作って日本語の母音や子音の説明をしました。これも何かの縁でしょうか、学生時代に日本語教育を専攻し、日本語を教えるという経験を経てきたことがこんなところで役に立つことになりました。
「日本の歌を歌う!しかも日本語で!!」と言うのは、みんなにとってものすごい驚異だったようで、次々に「我々に出来るのか」という質問が寄せられました。中には「日本の歌も五線譜に書いてあるのか」なんていう目が点になるような質問もあってビックリしましたが、徐々に発音の仕方を覚えて、また、曲の意味や、日本人にとって桜がどんなに思い入れのある花か、なんていう話をすると、みんな食い入るように聞いてくれました。もちろん発音はとても難しく、「らりるれろ」は「L」でも「R」でもない、その間くらいの音なんですよ〜、と説明してもなかなか難しい。わたしの言う「ら」も「Da」にも聞こえる〜と言われたり。。。(まぁ、だからPuddingは日本語になる時プリンになったんだからしょうがないか)最後は「だからわたしの英語の発音もおあいこね!」と自分の事も棚に上げて。。。
いよいよコンサート当日(2000年3月)
会場はマンチェスターにある音楽大学のホール。ローカル新聞に載ったコンサートの広告にも、「Some
Japanese songs in JAPANESE!」との見出しも出ました。日本の歌のコーナーに来たところで、指揮者から歌う前に一言、とのことで、曲の紹介や日本の春の様子をほんの一言スピーチする時間をいただき、(実際緊張して、なんだかまともなことを喋ってたのかどうか全く怪しい)演奏しました。何だか、こんなに離れたイギリスで、こんな大勢のイギリス人の仲間と共に、日本の歌を歌っているなんて…来た当初、泣き言を言っていた私、合唱団探しをしていた毎日、、いろんなことを思い出しながら、何だか一人歌いながら胸にジーンときてしまいました。コンサートの後、何人かのお客さんからお褒めの言葉をいただきましたが、特に「さくらさくら」は「まるでキモノの女性が扇子を手に舞っているようだ」なんておっしゃる方もいました。
そして今(2000年5月)
わたしのイギリス生活も、おそらく、残すところ半年余りになろうとしています。本当はお金があれば、旅行もしたかったし、英語学校にも行きたかった、習い事をしたりもしたかった。でも夫が安定した職を投げ打ってまでその先を目指して学生生活を選んだこと、経済的には苦しいけれど一人でいるよりは二人でいたほうが、と思って私もここに来たのだから。。。だからこそ、私なりの方法で毎日毎日を大切に、楽しんで生活していかなければと思っています。何物にも代えられない合唱団での仲間や思い出が、私のイギリス生活での一番の宝物になりそうです。
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